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以下の記事によれば、昨年、ベトナム首相により出された決定により、多くの外国テレビメディアがこの国から締め出しを食らう可能性があるとのこと。

● Vietnam - BBC, CNN could halt service in Vietnam

要約すると、昨年3月24日に出された上記決定により、外国テレビメディアが放送を行う際には、ニュースも含めて全て編集された後にベトナム語に訳されなければならない(多分ベトナム語サブタイトルをつけろということ)そうだ。

そしてその為にはベトナム政府から編集と翻訳のライセンスを事前取得せねばならないそうで、このライセンスの取得期限が先週、11月15日だったとのこと。

BBC, CNN. CNBC, NHKなど大手テレビ各社もライセンスを取得できていないところが多く、その数は実に外国75チャンネル中59チャンネルに上るという。

それもその筈、映画ならまだしも、時間との闘いであるニュースなどに至っては、いちいち翻訳するのに膨大な時間と労力を必要とする上に、時間を掛けていればニュース性が失われる。

政府は相変わらず規制は作るが、民間や人々にとってそれがどれだけの負担になるのか、全く分かっていない様である。規制は規制、その為にどれだけ人々や民間ビジネスに労力や負担がかかろうとも知ったこっちゃない、というのがベトナム流。だからその規制から逃れる為に賄賂を払う輩が出てくるのもまたこの社会。

ベトナムから国際ニュースチャンネルが淘汰されるのも時間の問題かも知れない。
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こういうのを読むとベトナムが社会主義国であることを再認識させられる。

● Vietnam sentences 2 songwriters to prison terms

ジャーナリストからブロガー、神父さんから僧侶に至るまで、同様の理由で塀の中に居る人は沢山居る。

中国や北朝鮮の影に隠れて報道されないベトナムの現実である。
ベトナムと言えば、フォーに生春巻きに、アオザイにかわいい小物。日本での旅行者間でのベトナムのイメージと言えばそんなものだろうか。しかし、旅行してちょっと見た「外見」のベトナムに覆い隠されたその下には、この国が社会主義国であることを実感させるに十分な「現実」がある。

その一つが情報検閲だ。

ベトナムには言論の自由は無い。ベトナムは勿論、共産党の一党独裁で、その独占的政治権力を批判することは意見ではなく「犯罪」とみなされる。

共産党の権力を脅かす「多党制」なんて口にした日には、それこそまるでテロリストの様な扱いをされるし、実際にそういうことを主張して現在塀の中で人生を送っている人達が沢山居るのだ。

そうした文脈で出てきた最近の記事。

● Vietnam PM orders fresh crackdown on bloggers
(ベトナムの首相が政府批判ブログの摘発を指示)


ベトナムの首相が、ベトナム政府に批判的なことを掲載しているブログの調査・摘発を警察に指示したという記事だ。「bring offenders to justice(法の裁きを受けさせる)」なんて言ってしまっているが、完全に政治的価値観が民主主義国とは異なることを浮き彫りにする記事である。

ベトナム人やベトナム在住者にとってはこれといった驚きの無いニュースであるが、日本に居る人々はこうしたベトナムの現実を聞かされて驚く人々も少なくない。

人民は共産だとか社会主義だとか全然関心もないのに、政府はその権力を維持する為に社会主義を利用している。しかし政府職員も賄賂は欲しい。お金=賄賂を払う人は優遇するが、お金を払わない人は後回しにする。賄賂ほど社会主義国の精神に反するものは無いと私は思っているが。

そんなおかしな二重構造、ダブルスタンダードな国がここベトナムなのである。
毎度毎度で疲れ果てますが、またまた今回もビザ延長でトラブル発生。

今回の延長は12月末まで。9月からたったの4ヶ月だが、いちいち簡単なことが複雑になるのがベトナム。

延長申請は本当は簡単で、延長申請書と更新された仕事の契約書、ビザ手数料を入管に提出すれば更新される筈のものである。

延長申請書には受け入れ機関の署名が必要なので、ハノイ近くの政府機関を通じて申請をお願いする。

するとメールが。

政府職員:「60万ドン手間賃が必要です。」

これはビザ代金ではなく、職員からの「個人的な」手間賃の請求である。前回も請求された(その時は50ドルと言われた)。ご丁寧にこの職員の個人銀行口座番号まで送ってきた。

あぁ、またね、という感じ。相当な汚職文化だ。

というか、あなた方政府を支援しているプロジェクトのビザ手配位、金取らずに出来ないの?と毎回思うが、「思わない」というのがベトナムの答えなのだ。

こちらのビザが切れれば国外に出なければならないという足元を見られての要求。非常に腹立たしい。本当にベトナム出て行ってやろうか、と本気で思うこともある位だ。

そしてその後。

政府職員:「入管に問い合わせましたが、3ヶ月以上のビザには労働許可証が必要なので、今回のビザは3ヶ月までしか下りません。ベトナムの法律なので仕方がないですね。」

あー、またこのパターン?同じやりとりを過去に幾度したことか。しかしこちらもベトナムは長いので準備はある。

私:「ODAプロジェクトの要員には労働許可証は必要ないと法律で決まっているので労働許可証は必要ない筈だ。該当箇所をハイライトした法律のコピーも送るので確認するように。」

政府職員:「。。。」

自分が法律を知らないと、テキトーなことを言われて丸め込まれるので、自らが法律を読み込んでよく知っておく必要がある。

この「ベトナムの法律なので」という言い訳を、よくベトナム政府の人々は使うのだが、実は彼ら自身、国の法律をよく理解していないことが多い。「ベトナムの法律なので」という言葉を使えば、とりあえず相手は反論できないとでも思っている節がある。

だからベトナム政府職員の言う「ベトナムの法律なので」という言葉を鵜呑みにしてはいけない。

しかしここからがまた押し問答。

政府職員:「入管に再度問い合わせましたが、貴方のプロジェクトがODAプロジェクトだという証明を中央省庁から取って提出してくれとのことです」

なんて、また訳の分からないことを言い出す。

私:「国際機関が発行した仕事の契約書があるのだから、それで十分だ(実際今までも契約書のみでビザが延長されてきている)。国際機関の名前だって政府が知らない訳がないだろう。更に、我々のプロジェクトは中央政府と国際機関とドナーが契約書に署名をして進められているプロジェクトだ。政府は自国で実施されているプロジェクトも把握していないのか。」

毎度毎度、同じ様な押し問答。結局今まで、毎回同じ押し問答の末、ビザは追加書類なしで発給されてきたのだが(今回も結局そうなるのだろう)、こんな話しで1~2週間も無意味な時間を毎回費やされる。

こちらもここまでされてこの国で仕事をする気が失せてくる(そうしてこの国を去って行った人多数)。ベトナムという国はつまらないことで多くの機会を逸している国だ。

援助は欲しいけど、援助担当者のビザ発給などの手続きではあーだこーだと難癖をつけてくる。どうにかしてくれ!
ベトナムは言わずと知れた社会主義国であり、共産党の一党独裁によって国の運営がなされている。

しかし、それでもこの国に「選挙」があるということは日本の人々には意外と知られていないのではないか。

今日投票が行われた議員「選挙」。国会議員だけでなく、省レベル、市レベルでも同時に議員「選挙」が行われた。国会の定員は500名。候補者は827名。任期は5年だ。

日経新聞には5月22日付けで「ベトナム国会議員選挙、熱帯びる政治改革への期待」などというタイトルで今回の「選挙」のことが取り上げられているが、この表現はベトナム内部から見た状況とはかなり温度差がある。というのも国内で感じられるのは、熱気どころか、人民の政治への無関心と冷め切った人民感情だからだ。

こうした背景には、共産党によって作り上げられた「選挙」への不信と政治・政府への虚無感がある。

まず今回の「選挙」で感じるのは、街中どこでも、選挙中という社会の雰囲気が全く感じられないということ。ちょっと関心を持って調べたりしない限り、現在選挙期間中であるということすら知ることができない。候補者が街頭演説をしている訳でもなければ、討論会がある訳でもない。人民に提示されるのは、街の見えないところにひっそりと設置されている「選挙」ボードか新聞の限られた情報のみだ。

その「選挙」ボードを見て気付くのは、それぞれの立候補者の意見や主張が掲示されているのはなく、履歴書の様なものがそのまま張ってあるだけ。どの立候補者がどういう主張で何を実現しようとしているのか、全く知ることはできない。これで投票してくれと言われるのだから人民もたまったものではない。

ベトナムの少し教育のある層に「選挙」の話しを聞けば、皆口々に「形だけのもので全く意味はない」と語る。

これはどういうことかというと、こういうことだ。

まずベトナムの「選挙」では誰でも立候補できる訳ではない。共産党の推薦が無くても立候補自体はできるが、それでも共産党の指導で行われる立候補者の「事前の審査」があり、これに通らなければ立候補すらできないということになる。つまりは共産党にとって都合の悪い思想を持つ立候補者はこの時点で既にふるい落とされている訳だ。

因みにベトナムでは「多党制」を謳うこと自体が犯罪行為とみなされ、このために塀の中での生活を余儀なくされている人民も複数居る。この様な言論の自由のない政治・社会環境では、改革路線の人々は立候補をしても無駄だと考えるのも無理の無い話しである。

一方の人民からすれば、立候補者として現体制に許可された人々のみが掲示板に掲載されているということだから、しらけるのも訳ない。多様な選択肢は最初から提示などされていないのだ。

一部の紙上では、「非共産党員の当選者数が、国の開放度合いの指標」というような主張が散見されるが、こうした背景があることを理解すればその主張もおかしなことに気付くだろう。

こうして実施される「選挙」であるが、開票についても透明性は極めて低く、「選挙」結果が本当に人民の投票結果に基づくものであるかどうかさえ人々は信用していない。むしろ、当選する人々は予め共産党内で決められてる、という印象を持っている人民が多い。これは共産党イチオシの立候補者はまず「選挙」で落選することがないという「不思議な」経験に基づくものだという。

こうして議員が選ばれる訳であるが、議会の独立性にも疑問は多い。ベトナムでは政府の上に議会があり、議会の上に共産党が存在する。重要な意思決定は共産党が行っており、議会はそれにお墨付きを与えるもの程度にしか機能して来なかった。こんな議会に意志のある人が入りたいとは思わないだろう。意味がないからだ。

こうして考えるとベトナムの「選挙」というのは人民へのパフォーマンスであり、ガス抜きであり、対外的な民主化への取り組みをアピールする手段としての色合いが濃いことが分かるだろう。
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