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ベトナムは言わずと知れた社会主義国であり、共産党の一党独裁によって国の運営がなされている。

しかし、それでもこの国に「選挙」があるということは日本の人々には意外と知られていないのではないか。

今日投票が行われた議員「選挙」。国会議員だけでなく、省レベル、市レベルでも同時に議員「選挙」が行われた。国会の定員は500名。候補者は827名。任期は5年だ。

日経新聞には5月22日付けで「ベトナム国会議員選挙、熱帯びる政治改革への期待」などというタイトルで今回の「選挙」のことが取り上げられているが、この表現はベトナム内部から見た状況とはかなり温度差がある。というのも国内で感じられるのは、熱気どころか、人民の政治への無関心と冷め切った人民感情だからだ。

こうした背景には、共産党によって作り上げられた「選挙」への不信と政治・政府への虚無感がある。

まず今回の「選挙」で感じるのは、街中どこでも、選挙中という社会の雰囲気が全く感じられないということ。ちょっと関心を持って調べたりしない限り、現在選挙期間中であるということすら知ることができない。候補者が街頭演説をしている訳でもなければ、討論会がある訳でもない。人民に提示されるのは、街の見えないところにひっそりと設置されている「選挙」ボードか新聞の限られた情報のみだ。

その「選挙」ボードを見て気付くのは、それぞれの立候補者の意見や主張が掲示されているのはなく、履歴書の様なものがそのまま張ってあるだけ。どの立候補者がどういう主張で何を実現しようとしているのか、全く知ることはできない。これで投票してくれと言われるのだから人民もたまったものではない。

ベトナムの少し教育のある層に「選挙」の話しを聞けば、皆口々に「形だけのもので全く意味はない」と語る。

これはどういうことかというと、こういうことだ。

まずベトナムの「選挙」では誰でも立候補できる訳ではない。共産党の推薦が無くても立候補自体はできるが、それでも共産党の指導で行われる立候補者の「事前の審査」があり、これに通らなければ立候補すらできないということになる。つまりは共産党にとって都合の悪い思想を持つ立候補者はこの時点で既にふるい落とされている訳だ。

因みにベトナムでは「多党制」を謳うこと自体が犯罪行為とみなされ、このために塀の中での生活を余儀なくされている人民も複数居る。この様な言論の自由のない政治・社会環境では、改革路線の人々は立候補をしても無駄だと考えるのも無理の無い話しである。

一方の人民からすれば、立候補者として現体制に許可された人々のみが掲示板に掲載されているということだから、しらけるのも訳ない。多様な選択肢は最初から提示などされていないのだ。

一部の紙上では、「非共産党員の当選者数が、国の開放度合いの指標」というような主張が散見されるが、こうした背景があることを理解すればその主張もおかしなことに気付くだろう。

こうして実施される「選挙」であるが、開票についても透明性は極めて低く、「選挙」結果が本当に人民の投票結果に基づくものであるかどうかさえ人々は信用していない。むしろ、当選する人々は予め共産党内で決められてる、という印象を持っている人民が多い。これは共産党イチオシの立候補者はまず「選挙」で落選することがないという「不思議な」経験に基づくものだという。

こうして議員が選ばれる訳であるが、議会の独立性にも疑問は多い。ベトナムでは政府の上に議会があり、議会の上に共産党が存在する。重要な意思決定は共産党が行っており、議会はそれにお墨付きを与えるもの程度にしか機能して来なかった。こんな議会に意志のある人が入りたいとは思わないだろう。意味がないからだ。

こうして考えるとベトナムの「選挙」というのは人民へのパフォーマンスであり、ガス抜きであり、対外的な民主化への取り組みをアピールする手段としての色合いが濃いことが分かるだろう。
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