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6月25日、IWC(国際捕鯨委員会)の総会が殆ど成果も残せないまま閉幕した。このニュースは日本でも比較的大きく取り上げられている筈だ。今回のIWCの議論を見るにつけ考えることが色々とあった。

まず何よりも残念だったのは、オーストラリアの一切妥協の無い強靭な姿勢が、結果的に議論の進展を妨げてしまったということ。こういう国際委員会での議論というものは、立場の異なる国々の間の交渉事であり、妥協の無い議論などあり得ない話だ。皮肉なのは反捕鯨国オーストラリアの強靭な姿勢により、現在の調査捕鯨のシステムが維持され、結果として現状は良い方向に向かわなくなったということだ。ベストでなくともベターな選択肢があった筈だ。

誤解の無い様に前置きをしておくと、私は捕鯨推進派ではない。鯨に限らず、科学的な見知に照らして個体数が減っているものであれば、それは保護されてしかるべきだと思っている。

ただ、私が捕鯨を減らしたい立場でこの交渉に望んだとすれば、オーストラリアの様な行動は取らなかっただろう。今回の議論では商業/調査の区別を撤廃して総量での頭数規制をかけていくこと、その中で捕獲枠を大幅に減らしていくことなどが議長提案として提示された。現在は調査捕鯨と商業捕鯨の区別などあって無い様なもの、とまでは言わないが、商業捕鯨を禁止されている現在の状況で、調査捕鯨と称して行われている捕獲が完全に調査目的だけとは言い難い印象がある。これは調査用に捕獲された鯨の肉の利用が義務づけられているという事実が問題をますます不鮮明にしている気がする。

重要なのは、調査でも商業でも最終的にどこでどれだけ捕られているかということではないか。海は繋がっているのだ。鯨にとっては調査も商業も捕られることに変わりない(商業だと大きなものばかり捕られやすいなど細かい議論があることは分かっている)。

だから、倫理観で「商業」はだめ、「調査」は妥協できると何年も進展の無い議論を繰り返すよりも、実をとって、現在利用可能な科学的知見に基づいて、頭数制限をかけていくことの方がよっぽど鯨の保全になるのではないかと私は考えるのだ。

この考えに立ってオーストラリアの今回の「だだこね」を見ると、本当に鯨の保全を実現しようという気があるのかと、逆に疑問と憤りすら感じてしまうのである。総量規制で結局捕られる頭数が減ったかも知れないのに、「だだこね」で交渉が決裂し、差し当りは現状が維持されることに。鯨にとってどっちが良いかと言えば私は前者だったと思う。

要は、鯨以外にオーストラリア等の反捕鯨国にとって守りたい何かがあるのではないかということだ。

偏った報道の応酬

報道が偏っているのは何も鯨に限ったことではないが、捕鯨に関する日本の報道はやたらと偏っている。だから議論の本質が見えてこない。水産庁は勿論捕鯨擁護派だから、水産庁やそこの息のかかった資料や調査を基にモノを言っても、被告の主張だけを基に裁判をする様なものである。反対派も含めてもっと多様な立場の主張を読み解いた報道であって欲しいと思う。

端的な例として、シーシェパード(SS)の事件。日本ではもっぱら「アディギル(AG)号が日本の捕鯨船に体当たりをした」として報道され、そう信じている日本人も多いと思うが、オーストラリア、オランダなどの反捕鯨国では「AG号が日本の捕鯨船に衝突された」という見方が大勢を占めている。どっちがやったという議論にここで結論を出すつもりは全くないが、映像はここにある。





これを見る限り、AG号が一方的に走り込んできて体当たりしたという風にも見えない。そもそもあんな小さくちっぽけな船が、何十倍もある大きな鉄の固まりである捕鯨船に体当たりをするだろうか?とそういう疑問すら浮かんでくる。

勿論、SS自体は捕鯨船に危険液体を投げつけたり、ビームを照射したりと数々の捕鯨妨害活動を行ってきた訳で、漁師達の仕事場にしゃしゃり出てきて妨害を働く外国船ともなれば、こういう物理的な衝突が起こり得るだろいうという意味では、AGはそのリスクは十分理解していた筈であるし、していなければならない。ただし、あそこでケンカを買ってしまってはメディアの注目を浴びて「野蛮な日本の捕鯨者」というイメージを植え付けたいSSの思うままだったという側面もある。

IWCで認められている調査捕鯨を合法的に行っている日本の漁船に対して妨害を働くというのは、違法漁船を取り締まるのとは訳が違う、という漁業者側の怒りも良く分かる。現在の捕鯨の多くが持続可能なレベルでないということは確かであるが、一方で合法であるのも確かだ。この辺は難しい問題である。早く総量規制のレベルを持続可能なレベルに落とす必要がある。だからこそ今回のオーストラリアの「だだこね」は残念だったのだ。

持続可能な捕鯨

現在捕鯨の対象となっている鯨の中にも、地域/種類によって捕鯨を禁止しなくても持続可能なものもある。こうした鯨については持続可能性の視点からのみ議論するのであれば、捕鯨を禁止する必要はないということになる(減らす必要はある)。

このことは反捕鯨国のオーストラリアもオランダも分かっている筈であるが、そうした鯨も含めて捕鯨完全禁止論を叫ぶのは筋が通ってない。これは、鯨の保全以外の利害が絡んだ政治的主張であり、科学的主張ではないのだ。
今日はクジラとイルカについて。

話題の映画The Coveがサンダンス賞に続き、アカデミー賞も取って議論が沸騰している模様。これは和歌山県の太地町という町で江戸時代から数百年、伝統的に行われてきたイルカ漁について、動物保護や食料安全性の視点から疑問を投げかけるという内容のもの。

私は海外の国々を現場として仕事をすることが殆どなので、こうした文化や感覚の違いというか、何が「間違い」で「野蛮」で「可哀想」で、何が「フツウ」で「常識」であるのかについて良く考えさせられることがある。このThe Coveに関連する議論はそうしたことを再び考えさせる機会でもあった。

仕事柄、色々な国で色々な国籍の人と話をするということもあり(そして現在は漁業絡みの仕事をしているということもあるが)、よくクジラ・イルカについて、そしてマグロについて、日本人としてどう思うかと訪ねられることがよくある。

私個人の感覚的な結論を先に言えば、私はクジラやイルカの漁や肉を食すことが日本(全体)の文化というよりは、限られたの地方の伝統活動・生業という意味合いの方が大きいと思うし、「それらの漁が日本の伝統文化であるから保護しなければならない」というある種の主張には必ずしも同意できない部分がある。この辺は寿司の中心的なネタであるホンマグロの話とは大きく異なる部分だと思う。

確かに家畜肉の不足していた昔はクジラやイルカの肉が安価で全国に出回っていた時代もあっただろうが、これは肉が手に入らなかった時代の代替品として流通していたものであって、何もクジラやイルカの肉が好んで選択されていた訳ではないと様々な人々から見聞きしている。牛や豚や鳥の供給が安定している現在の、比較的若い世代に至っては、そうした肉を目にしたことがない、口にしたことがない人々が殆どだろう。

これを「日本の伝統文化」と一括りにするのはどうか。感情的には、人になつく様なイルカを殺すのは可哀想だとも思う。だから、「個人的には」クジラやイルカの漁が禁止されても、食用が禁止されても、大きな反対はないし、他の美味しい魚介類が沢山あるではないかと思ってしまう。



しかし、大都市に生まれた私の考えと、こうした漁を伝統的・文化的に営んで来たその当事者たちの思いや考えは分けて考える必要がある。私は伝統的にこうした漁を営んで来た漁民やそれを支えて来た町民(=当事者)ではないわけで、いわば外部者の立場でモノを言っている。それはそれで一つの意見ではあるが、外部者の意見と当事者の意見とは全く性質のことなるものであるだろうし、最終的にこの問題はその当事者達の思いや感覚をどうするのかという所に行き着く様な気がする。

クジラやイルカといった大きな獲物を捕るという作業は、自ずと漁師の共同作業を必要とするし、その収穫を喜ぶ・分けるという作業は、その地域地域の伝統行事や文化活動とも深く関係してきたことだろう(この件について詳細な確認はしていないが)。この活動を世代を越えて、そして生まれてこのかた営み、または見聞きし、感じてきた当事者達にとって、こうした活動を一方的に外部者に非難されるというのは心外だろう。

まあ、実際にはそんなキレイな話ばかりだけではなく、クジラやイルカの漁に頼った地域や漁協が、経済的理由でその消費を拡大させたい、という思惑の中で「日本の文化」説が囁かれたり、禁漁が実現していない部分もあるのだろう。この疑念はちょっと異なった視点から以下に記してある。



さて、話が長くなり過ぎる前に、クジラやイルカにまつわるいくつかの主張について考えてみたい。

▼「イルカは魚でなく哺乳類であるから」という主張

この主張そのものは筋が通っていないだろう。よく言われることだが、哺乳類だからという視点であれば牛や豚も哺乳類である。「クジラやイルカが大量の血を流して、、、」という半ば感情的な主張も、牛や豚の屠殺場/解体場を観れば、それはそれは凄惨な血に染まった場所である訳で、それを口にする人々がその現場を目にしたことがないというだけの問題であろう。事実、そうした屠殺現場を見てベジタリアンになったという人は沢山居る訳で、そうした人々の主張としては十分理解できるのであるが。

私は屠殺の現場を観たことがあるし、確かにその現場を観れば衝撃を受けるのは心あれば誰でもそうであると思う。

The Coveで特に偏ったことをやっているなと思ったのは、イルカが殺され血に染まるシーンを通りがかりの人々(日本人)にいきなり見せるシーン(以下のトレーラーの1分位の所)。



予告もなくいきなりそんなシーンを見せられた人はもちろん驚いたり、嫌な顔をするのであるが、逆に豚や牛が屠殺され解体されるシーンを、牛豚を大量消費する国々の通りがかりの人の目の前にいきなり見せたらどんな顔をするか?そりゃぁ、いきなりあんなショッキングで生々しい映像を顔の前に見せられたら誰でも嫌な顔をするだろう。クジラやイルカの問題がどうこうということ以前に、そんな映像を人の目前にいきなり突き出すという行為は、失礼極まりないし、哺乳類云々の前に人としてこれは完全なマナー違反であると私は思うのだ。

誤解の無い様に言っておきたいが、私は生き物の命を奪って食するという行為をしている以上、それを口にし、消費する人々はその生産の現場を知る必要があると思っている。だからそうした生産現場を知るための取り組み、活動には大賛成であるし、それが食べ物を大切にするという気持ちにも繋がっていくものだと思っている。そういう意味では、例えば「いのちの食べかた」という映画はその良い機会を提供していると思う。



その上で肉を食べるかどうかという問題は個人の選択であっていいと思う。

ちなみにベトナムでは北部を中心に犬(時には猫まで)を食するが、(私は食べないものの)彼らの頭がおかしいとか、ベトナムはそれを止めろとまで言う気は無い。

▼「イルカは頭のいい動物であるから可哀想」という主張

この主張は分かる様な分からない様な主張である。第一に、頭がいいから、感情があるからという理由で生きる死ぬが決定されるのであれば、それには倫理的な問題も絡んでくるのだろうと思う。「イルカは恐怖を感じることの出来る動物である」という主張になると、人情としてやや理解できる主張になってくるのであるが、前述の「いのちの食べかた」を観ると分かる様に、牛や豚の様な家畜であっても、これから屠殺されるのだという感覚は持っていると思われるし(映画の中では牛の例でした)、私は豚の屠殺現場で豚が極度の恐怖を感じている例を沢山観てきた。これらの哺乳類だって、恐怖を感じることのできる動物な訳だ。そうするとこの主張はイルカだけに当てはまらなくなってくる(だからイルカ漁が良いという主張をしたい訳ではありませんが)。

こんな事を考えながらウェブ上にある様々な主張を読み進めていると以下の様な主張を目にした。

→エルザ自然保護の会:和歌山県太地町によるイルカの売却に関する背景

「2)倫理的見地から」という項で、瞬時に痛みを感じさせずに屠殺される家畜と異なって、「イルカ漁において、イルカの意識を瞬時に失わせ、迅速に死に移行させることは不可能であり、日本で毎年捕獲され、また、殺されている何千頭ものイルカが、時間が長引く追い込み、捕獲、屠殺の全過程で、激しい痛みと苦しみを経験している」との主張がある。この主張は「頭のいい」という単純な主張よりも理解のできる主張だろう。

一方で、地元の漁協は、現在は映画にある様な漁法は行っておらず、現在はイルカへの痛みを軽減する漁法をとっていると主張している様だが、その実態やいかに。もし捕るのであればこうした努力は必要であろう。

▼「イルカは(絶滅の危機に瀕しているから)保護すべき種である」という主張

地中海・大西洋のマグロも絶滅の危機に瀕する種として登録されそうな雰囲気だが、イルカの場合はどうなんだろうか。

The Coveの舞台となった太地町では、バンドウイルカ、スジイルカ、ハナゴンドウ、アラリイルカ、マゴンドウ、カマイルカ、オキゴンドウなどが頭数制限の下に捕られている様である。

ワシントン条約の附属書をざっと見てみたところ、上記イルカ類は全て附属書IIに登録されている。附属書IIというのは「現在かならずしも絶滅のおそれはないが、取引きを規制しなければ絶滅のおそれのある種となる可能性があるもの」ということで、許可制で商業取引が可能なものである。

ということは、少なくともワシントン条約の規定に照らして考えれば、絶滅の危機に瀕しているという主張は必ずしも当たらないし、頭数制限が科学的な見地に基づいたもので、それが機能していれば、種の保護の見地からは問題なさそうだという結論になる。

▼「クジラ・イルカの肉は食用にするには危険である」という主張

全ての地域で獲れた全ての種がそうでないという前提で話せば、私個人的にはこの主張が一番理にかなっているというか、すぐに理解できる。イルカ肉の水銀値は日本政府も発表している通りであるし、

→環境省のページから
→厚生労働省のページから

太地町のゴンドウクジラに関しては、暫定規制値を総水銀、メチル水銀とも10倍を越える値だったと厚生省登録機関の分析結果も出ている。

さて、こうした肉が太地町では給食にまわされ、さらには全国への流通も計画されているということ。この問題は町議会でも取り上げられ議論された様だが、意外と知られていない。私も調べて知った位だ。

地元の数少ない資源であるクジラやイルカの消費をもっと拡大して地域おこしをしようという経済的な背景があるのだと思うが、食の安全性がこれほど話題になる中、危険であるという検査結果が出ているにも関わらず、その消費を拡大する方向で、その情報も十分に消費者に共有されずにいる現実。これは大いに問題であろうと思う。

食の安全は、その生産者がそれを売りたいかどうかという話に関わらず、絶対的に守られねばならないもの。経済的な理由だけで真実を隠しながら危ない食品の流通を拡大しつづければ、事故米やミーとホープと同じ様な事態になることでしょう。

大分長くなりましたが、今日はこの辺で。
2010.03.11 まぐろの話
今日はまぐろについて。

「まぐろ」と今聞いたら、ニュースや新聞に目を通している人ならすぐ「クロマグロ」というキーワードが思い浮かぶだろう。地中海・大西洋のクロマグロの国際取引を禁止しようという議論がEU、アメリカを中心に盛り上がっているのだ。

クロマグロの保全の議論は元々、大西洋のまぐろを管理している大西洋まぐろ類保存国際委員会(ICCAT)という委員会で話し合われてきたものだが、これだけ獲っても大丈夫なんじゃないかという予想量に対して、規制された漁獲上限が多すぎて、ICCATを通じたマグロの保全は期待出来ないんじゃないかという懸念が国際的にあった訳だ。

こういう背景もあって、現在は絶滅のおそれのある野生生物の国際取引について規定するワシントン条約(CITES)の会議という、ICCATと別の場を使ってこのクロマグロの保全を実現しようというのが、今の流れになっている。

そしてこの議論は今週末からが一つの山場。13日から開催されるワシントン条約の会議で、クロマグロの国際取引が禁止されるかどうかが決まる。決まれば地中海・大西洋のクロマグロの国際取引はできなくなる。

実は、クロマグロと一口に言っても、地中海・大西洋に生息している大西洋クロマグロ(Northern Bluefin Tuna)と太平洋に生息している太平洋産クロマグロ(Pacific Bluefin Tuna)とが居て、今回議論に上がっているのは前者の方。

大西洋産はIUCNのレッドリストでも「Critically Endangered」という8段階中3番目に深刻な評価となっているし、地中海・大西洋での漁獲高も急激に減っているので、資源が減っていることは誰の目から見ても確かではある。ちなみに太平洋産の方は、7段階中5番目の「Vulnerable」というランク付けになっている。

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さて、今回の地中海・大西洋産クロマグロの規制問題だが、EUが最近になってその支持の方針を固めたという。一見、「クロマグロが絶滅の危機に瀕しているから採るのを減らしましょう、止めましょう」という単純な議論の様に見えるのだが、私にはどうもこの議論が腑に落ちない所がある。

というのも、この案(国際取引)を支持する方針を固めたEU。実はその一方で、EUは一つの共同体だから、EU加盟国間の取引は国際取引には当たらないということも言っているのだ。つまり、EU外の国々にはクロマグロの保護や国際取引の禁止を訴える一方、EU内での国家間取引はできるという、ある種自分勝手な主張なのだ。本当に保護する必要があるのであれば、他国に先駆けて自らその漁獲や取引の禁止を実行してもらいたいものだが、スペインやイタリアをはじめとして、まぐろで生計を立てている人達は沢山居る訳で、そういうEU内の人々に配慮した(甘くした)結果の案だと言える。

ワシントン条約は国際取引しか規制をしないので、クロマグロそのものの漁獲を直接規制するものではない。国際取引を規制することで漁獲を間接的に操作していこうという前提に立っているのだ。しかし一方で、「国際取引」とみなされなければ取引自体は可能だということでもある。これを利用しようとしているのがEUである。

尤も、世界のクロマグロの8割が日本で消費されているというから、日本にマグロを出なくすれば、その保全効果は大きいという事実は確かだろう。しかし自国は規制せずに日本にばかり規制を押し付ける様なやり方には疑問を感じるのは私だけだろうか。

採る奴が悪いのか、食う奴が悪いのか、これは需給の問題だからどちらがという話しでもない。しかし、主義主張と行動が一貫していて欲しいと考えるのは私だけではない筈だ。

今後の議論を注意深く見守っていきたい。

―― まぐろの話題ということで、以下は津軽海峡での漁の様子を見つけたので参考までに。こうしてまぐろが私たちの口に入るんだなと思うとなんだか感慨深いです。

【前編】


【後編】
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